近年、「魚が空から降ってきた」というニュースが、世界のあちらこちらから届けられました。「竜巻で空中に引き上げられたのだろう」とか諸説、様々あるようですが、事の真相はまだわかりません。実は私も似たような体験があるのです。

もう随分前のことになりますが、四国松山の教会で幾つかの教会が合同で「夏の聖会」(クリスチャンの集まり)をもっていました。それに参加すべく、九州と大阪から先鋒隊の数名が朝早く、松山の港で落ち合い、そこからバス停を目指して歩き出しました。ワイワイ、ガヤガヤッと朝早くから賑やかなものです。

そのうち、ふと、一人の人が叫びました。

「しまった、あの松山の先生へのお土産を持って来るのを忘れた!」エーッ!!

「どうしよう・・・・。」皆で考えながら歩いていると別な人が言いました。

「あの先生は、お魚が好きだから、何とか魚が手に入るといいなあ。」

でも、人家も疎らな田舎町、ましてや、早朝ともなると、これは無理な話です。

皆、あきらめて、スゴスゴと歩いていますと、私と並んで歩いていた一人の青年が歩きながら小さな声で祈っていました。

「神様、魚を与えて下さい。イエス様のお名前によって祈ります。アーメン。」

私は、その祈りを耳にしながら心の中で思いました。

「無理!無理!無理!絶対、無理!!普通の店さえ見えないこんな田舎で、しかもこんな朝早く開いている店なんか有る訳ないだろう!」少しお高く考えていましたが、あまりにも純粋に祈るその青年の姿に、つい引き込まれて、思わず「アーメン(その通りです、同意します、と言う意味)。」とうなずいてしまいました。

それから、しばらく、ワイワイ、ガヤガヤと歩いていましたが、或る所へ来ると、遥か前方に私達の方向に走って来る一台の軽トラックが見えました。物凄いスピードです。見る見る近づくと私達の直ぐ目の前の交差点を、殆どスピードも下げずに「ギューンッ」と直角にカーブして走り去ろうとしました。と、その時です。

「ズポーンッ」その軽トラの幌の荷台から大砲の砲弾のようなものが私達の目の前を飛んで行ったのです。

瞬間、「落とした!」すぐに私達は走り去る軽トラに向かって大声で叫びました。「落としたぞぉ、帰って来い!落ちたぞおッ」大声での叫びも空しく軽トラは走り去ってしまいました。我に返った私達が、一体何が落ちたのか?落ちたものを見て、皆、唖然、茫然、言葉が出ません。「魚」でした。

しかも、サバやアジの類ではなく、8090cmはあろうかと思われる、あの「ハマチ」とか「ブリ」とか言われる類のものです。

絶対、有る訳ない、手に入る訳ない、と思っていたものが、今、目の前にあるのです。皆、しばらくは「ポカーン」としてしまいました。

でも、やがて、平静に戻り、その「落とされた魚をどうしょう?」という話になりました。落とされた魚を見ていると、魚は「お土産にどうぞ!!」と言っているような気がします。多分、皆、同じような思いがしたでしょう。その内のひとりが、言いました。「落とし物だから、やはり警察に届けよう。」少し残念な(?)思いもありましたが、皆、同意しました。

大きな生魚を握った男を先頭に、静かなたたずまいの街の通りを怪しげな一団が進んで行きます。「私達は怪しい者ではありませんよ。」アピールの笑顔が、ますます異様さを引き立てます。さらに、みんな「どれ位重いの?」とか、「僕にも持たせて。」とか、汚い手で、次々とその魚に触れたり、握ったり(もうこの時点で【魚】としての商品価値も、食品としての価値も消え失せていました。)

そして何とか、駐在所(交番)にたどり着きました。夏の朝早くから、異様な一団と大きな生魚の襲来に、お巡りさんは、ほとほと困っておられました。

しかし、やおら、額の汗を拭きつつ話し出されました。

「いや、拾得物は届け出なければなりませんが、物が物ですからね。いや駐在所の冷蔵庫には大き過ぎて入りませんし、拾得物ロッカーに入れる訳にもいきません。わかりました。こうしましょう。拾得物としての届け出があったことは、ちゃんと連絡しておきますし、もし、落とし主が現われた時には、本官がきちんとお話をしておきますから、その品(魚)はあなた方でお持ち帰り下さい。」

「ウワァーすごい。ヤッタァー!!

そして、その大きな魚を先頭に私達は無事に四国松山の教会に着きました。

そこでみんなで声を揃えてごあいさつをしました。

「先生!お土産でぇーす!!

もう随分、前の事になりましたが、私にとって、昨日の事のように、手に取るように思い出せる「想い出」です。

そして、この出来事は、私の人生に大きな教訓として残り、あの時、祈ってくれた、あの青年の祈りは、私の人生に起きたピンチを度々救ってくれました。

「もう駄目!」「もうあきらめよう!」「絶対無理!!何もかも道が閉ざされたように思う時があるかもしれません。

でも、その時、一回、神様に祈ってみませんか。

「あなたがたは今まで、何もわたしの名によって求めたことはありません。

求めなさい。そうすれば受けるのです。それはあなたがたの喜びが満ち満ちたものとなるためです。」(キリストのことば)

新約聖書ヨハネの福音書1624

あきらめない人生には「終わり!」はありません。

 

イエスキリスト博多希望教会 牧師 内田健吾