起きよ。光を放て。
あなたの光が来て、主(神)の栄光があなたの上に輝いているからだ。
見よ。やみが地をおおい、暗やみが諸国の民をおおっている。
しかし、あなたの上には主が輝き、その栄光があなたの上に現われる。
(旧約聖書 イザヤ書60章)

 

「信仰」と言うと、「自分の都合の良いことを願うだけ」と思っている人も少なくありません。
新年を迎え、「初詣」と称して、お宮や神社に出かけ、一年の無病息災と共に、自分の願いを祈るわけですが、2月ぐらいになると、殆ど、去年と同じ状態になってしまう場合も多くあります。
それは、本当の自分の姿、人生のあり方を正しく知ることをしないで、自分の願望を追い求めることだけに終始しているからです。
しかし、人は「自分を正しく知りたい」と思っても、なかなかうまく行きません。多くの人の人生は闇の中に包まれているからです。聖書は「闇の中を歩く者は自分が何処に行くのかを知らない」と告げています。
神の言葉「聖書」は、この世の中には、又、私達の心の中には、「闇」が存在していることをはっきりと告げています。
この「闇」というものを正しく知り、正しく対処しない限り、私達の人生は前進することも、変化することもなく、逆にこれからの時代は、その「闇」に私達の人生は呑み込まれて行くことになる、と聖書は告げています。
では「闇」とは何でしょうか。三つのことが言えると思います。

 

 

 

1)「闇」とは私達の人生に暗い影を落とす障害物です。
個人に於いては「罪」であり、「不正」であり、又、失敗や挫折と言った「過去の傷」であったり、「恐れ」や「貧しさ、不足」であったりするでしょう。
社会に於いては、「不条理」であったり、「差別」であったり、又、テロなどの「暴力」であったりするでしょう。確かに私達がこの世に生き、存在する限り、大なり小なり、「闇の力」の影響を受けているのです。そして、人間の力は弱く、もろいもので、その闇の力に逆らうことは出来ず、自分の人生でありながら、自分の思うようには行かず、周囲の流れに押し流されてしまうこともしばしばです。

 

 

2)「闇の本体」――神の言葉「聖書」は、「闇の本体」は「闇の世の主権者――サタン」であると告げています。
それは、この天地万物をお造りになり、支配しておられる神様に仕えていた天使のひとりが堕落し、神様に対して反逆する者(サタン)となったのです。
そして、神様が、「御自分の交わりの存在」として特別に造られた「人間」を誘惑し、堕落させ、罪を犯させ、互いに争わせ、傷を負わせ、挫折と失望の中に追い込み、「自分は無価値な者」というレッテルを貼り付け、人を奈落の底へ陥ようとするのです。
本当に悪い者は、「人」ではなく、「人」に罪を犯させ、神の子供としての尊厳を奪い去ろうとする、この「サタン」こそ諸悪の根元なのです。

 

 

3)第三番目の「闇」は、「もう自分はこのままで良い、今さら変わることなど面倒だ。」と闇の中で飼い慣らされ、闇の中に眠らされたままでながされてしまう人間の心の「横着」という闇です。
この「闇」に対して、光なる神は、繰り返し語られます。
「起きよ、光を放て!―サタンの欺きに流されたままにならないで、勇気を出して立ち上がれ」と語っておられるのです。
聖書は、確かにこの世界には「闇の力」が存在し、その闇の力が人類の営みを大きく歪めていることを教えています。
しかし、同時に聖書はもっと強力な力が、この世界に、そして、この時代に働いていることを教えています。
それは「光」であり、「光の権威と力」です。

 

 

1)「光」は神御自身です。
「神は光であって、神のうちには暗いところが少しもない。」(新約聖書 ヨハネの手紙(Ⅰ)1章)
神様は「光」そのものの御方であり、どのような闇の力も、その光を打ち消すことは出来ないのです。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(新約聖書 ヨハネの福音書1章5節)

 

 

2)「光」なる神様は「闇」の中に捕らわれている私達(人類)を救い出して下さる。
「神が(光)である」と言うことは、神様には一点の罪も曇りも、翳りもない、ということです。
その神様が、(人)の姿をとって、この地上に来て下さり(処女マリアから生まれて下さり)、最期に「罪」と言う(暗闇)の中に沈んでいた私達のすべての罪を身代わりに背負って十字架で死んで下さったのです。
聖書は「キリストは自分から十字架の上で、私たちの罪をその身に負われました。それは、私たちが罪(闇)を離れ、義(光)のために生きるためです。キリストの打ち傷のゆえに、あなたがたは、いやされたのです。」(新約聖書ペテロ手紙(Ⅰ)2章)
「神は私たちを暗闇の圧制から救い出して、愛する御子のご支配(光)の中に移して下さいました。」(新約聖書 コロサイ人への手紙1章)
神の御子イエス・キリストは十字架にかかって下さり、死んで墓に葬られましたが、三日目に復活なさり、今も生きて働いておられるのです。

 

 

3)「キリストの救い」を信じる人は、内側に「光」を宿し、「光」の人生を創造し、周囲に「光」をもたらす人となるのです。
「わたし(キリスト)は、世の光です。わたしに従う者は、決っしてやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(新約聖書 ヨハネの福音書8章)

 

 

イエスキリスト博多希望教会 牧師 内田健吾