イエス様は答えて言われました。

「この水を飲む者はだれでも、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む者はだれでも、決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」(新約聖書ヨハネの福音書4章13.14節)

この言葉は、人類の救い主であるイエス・キリスト様が、イスラエルの国のサマリヤ地方で出会われた、ひとりの女性との問答の中で語られた言葉です。この女性は5人も夫を替え、今、6人目の男性と同棲している――そういう経歴の持ち主でした。その女性に語られました。

「この水を飲む者は、又、渇きます。」

人の心は愛を求めて渇きます。喜びを求めて渇きます。
命の充実をもたらしてくれるものを求めて渇きます。
又、永遠の安らぎを保証してくれるものを求めて渇きます。
この女性が5人も6人も男性を替えたのは、ふしだらな性格からではなく、心の渇きに正直に、そして真剣に応じようとしたからです。

私は若い頃、或る大手の洋菓子メーカーに勤めていました。
会社の勤めも、それなりに果たすことが出来、会社の野球部にも所属していたので、好きな野球も楽しめました。何一つ不自由な事が無い-というような環境の中で生活をしていましたが、心には、いつもポッカリと大きな穴が空いていました。

「人は一体、何の為に生きているのだろう。」

心には、いつも、その問いかけがありました。確かに、今はそれなりに恵まれた環境に居るけれど、「一回切りの人生、やり直しの効かない人生――果して本当にこのままで良いのだろうか?」と考える時、何とも言えない焦り、空しさがありました。
「まあ。そんな事、考えずに、麻雀したり、楽しんだらいいじゃないか!」と誘ってくれる先輩、同僚もいましたが、束の間の誤魔化しには限界を感じていました。

「何処か遠くに行けば、何かに出会うのではないかー。」

若者特有の冒険心も手伝って、ヒッチハイクに出かけたり、冬山登山をしてみたり、何か新しいものとの出会いを真剣に求めていました。色々な本を買い漁って読んだり、興味のある養殖産業を学んだりしました。

当時の私の姿は、今日の聖書の話に出て来る「5人の男性を替えた、あの女性」に重なります。

哲学者のパスカルは
「人の心の中にはポッカリと大きな空洞が開いている。人はその空洞を満たすために様々なものを投げ入れるが、何物によっても、その空洞を埋めることは出来ない。唯一、イエス・キリストとの出会いによってのみその空洞は満たされる。」と語りました。

私の人生は文字通り、その言葉そのままでした。

 

たまらない空しさを抱え、もう他の国にでも行こうか、と真剣に考えていた時、会社のクリスチャンの同僚が教会に誘ってくれました。
「そういう所に、私の人生の答えは無い!」と頑なに拒んでいましたが、誘われて行ってみるうちに、今迄の人生では出会えなかった「命の潤い」のようなものを感じるようになって来たのです。

そして、聖書が語っている「イエス・キリスト」という御方が、今も生きて働いておられることがわかって来たのです。
その時に「永遠」に対する答えが、はっきりわかりました。
同時に「人生とはどういうものであり、どのように生きれば良いか」ということもわかって来るようになったのです。
そして、それは「理屈」ではなく「頭の理論」としてではなく、現実の「生ける命」として私の心に注がれ始めて来たのです。

「わたしが与える水を飲む者は、だれでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人のうちで泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」――このイエス様の約束が現実の命となって私の日常の生活を支配するようになったのです。

生活の中に張りが生まれ、潤いが生まれて来ました。
空しかった心の中に、まさに天的な喜びが溢れて来るようになりました。「自分」に自信が持てなく尻込みしていた人間が、大胆に物事に挑戦するようになりました。
神の恵みと力に、どんどんと生活が押し出されて行ったのです。(それは長い年月を経た今も、ますます豊かに注がれています。)

さらに、この神様の下さる「泉」は心の濁りを押し流して、朝ごとに新鮮な心と思いを形造ってくれるものです。

今日、どれ程多くの人々が、自分の心にある否定的な思いや感情を変えることが出来ないために苦しんでいることでしょう。
人から受けた仕打ちや言葉による暴力、その傷がいやされず、人に対する恨みや憎しみの奴隷となっている人が、どれ程多くいることでしょうか。
又、一つの失敗が心の傷となって残り、大きく自信を失ってしまう場合もあります。
人間の心は本当に脆く崩れ易いものです。
しかし、神様の下さる命の「泉」は傷んだ私達の心を包み、柔らかくし、真綿のように包んで下さり、いつの間にか、その思いと考えをリニューアル(刷新)して下さるのです。
否定的な思いを長く持っていることが出来なくなるのです。神の下さる「泉」が心のすべての傷、痛み、汚れを押し流してしまうからです。そして、物事に負けない強い心を造って下さるのです。人には出来ないことを神様はして下さるのです。

 

この四月、学びや働きで、新しい段階、部署に就かれる方も多いでしょう。新しい生活を始められるに当たって、この素晴しいイエス・キリストの「泉」を、貴方の内側にもお迎えなさったら如何でしょうか。

「だれでも渇いているなら、わたし(イエス・キリスト)のもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」(新約聖書ヨハネの福音書7章37.38節)

 

※又、疑問や質問などありましたら、
博多希望教会 092-607-8137
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ご遠慮なくお電話を下さい。
貴方の上に神様の恵みと祝福、守りが豊かに有りますように。