さて、エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があって、五つの回廊がついていた。その中に大勢の病人、盲人、足のなえた者、やせ衰えた者たちが伏せっていた。
そこに、38年もの間、病気にかかっている人がいた。イエスは彼が伏せっているのを見、それがもう長い間のことなのを知って、彼に言われた。
「よくなりたいか。」
病人は答えた。「主よ。私には、水がかき回されたとき、池の中に私を入れてくれる人がいません。行きかけると、もうほかの人が先に降りて行くのです。イエスは彼に言われた。
「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した。(新約聖書ヨハネの福音書5章2〜9節)

この希望は失望に終わることがありません。
なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。(新約聖書ローマ人への手紙5章5節)

 

人間は外側の悩みより、内側のことで悩んでいる場合が多くあります。
それは自分の内側にある「相反する思いの戦い」です。

 

「赦したいのに赦すことが出来ない」

「愛したいのに憎んでしまう」

「起き上がりたいのに、ズルズルと弱さに引きこまれてしまう」

「聖い生活を送りたいのに、いつの間にか欲望のとりこになっている・・・・」

 

神の言葉である聖書は

「私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。私は、自分でしたいと思う善を行なわないで、かえって、したくない悪を行なっています。」(新約聖書ローマ人の手紙7章18.19節)

 

と、私達人間の内側の弱さを明確に指摘しています。

そこで、人が本当に成功的な人生を送るためには、外側に物を集めることではなく、内側にある矛盾からまず解放されることが重要です。
「二心」で歩むのではなく、心が行動と一致していることです。でも、わかっているけど、これが、なかなかむずかしい。多くの人が一生懸命努力するが、なかなかうまくいかない。「今度こそ!」とチャレンジするが、3日も経たないうちに元の状態に戻ってしまう。

昔の歌ではないが「わかっちゃいるけど、やめられない――!」となってしまう――。

 

何処に解決の方法、道があるのでしょうか。

それは、まず第一に、私達の「心の構造」を知ることから始まります。

人は各々に「心」があり、「思い」があります。

そして、この「心」の中心部分に「霊」と呼ばれるもの、があります。

そして、最も大切なことは、この「霊」の部分が何によって支配され、影響されているか、ということです。

その「霊」の領域が、聖い神様によって支配されているか、汚れた悪い霊によって支配されているか――。
人生を建設的な方向に建て上げて下さる神様によって導かれているか、堕落した崩壊の道へといざなう悪の霊によって支配されているか、――これによって人生は二分されます。

 

外側の見た目による、成功・失敗ではないのです。今、外側はどのように華やかに栄えていても、内側に間違った霊を宿しているならば、その人生は時を経ずして崩壊していくでしょう。反対に今、どれほど、崩壊しているように見えても、内側に正しい(神)の霊を持つならば、その人生は必ず上向きになり、心身共に満足のいく、納得のいく人生となるでしょう。

人の一生を決めるのは、外側のものでなく、内側のものです。内側に(神の霊=聖霊)を持つこと、宿すこと、です。

神の御子、イエス・キリストは、あの十字架の上で私達の身にまとわりつく罪と汚じょくと呪いをすべて取り除いて下さいました。私達を弱めている、すべての要因・原因をあの十字架の上で取り除いて下さったのです。

そして、三日目に復活なさったキリストは、今も生きて働き、御自身を心から呼び求める者のうちに(神の霊=聖霊)を注いで下さり、人の生涯を、その内側から新しく造り変えて下さるのです。
「誰れでもキリストにあるならば、その人は新しく造られた者である。古いものは過ぎ去った。見よ、すべてが新しくなった。」(新約聖書コリント人への第Ⅱの手紙5章17節)と聖書は語っています。

そこで、

1)どのような人生でも「諦めない」ことです。
失望は自分を見失うことです。しかし、絶望は、すべての祝福の源である、神を見失うことです。決して、人生を諦め、投げ出してはなりません。

 

2)自分の姿を正直に知る、認めることです。
人生の回復は、自分を正しく知ることから始まります。
自分の弱さに対して、言い訳したり、言い逃れしたり、他に責任転嫁をしないことです。正直に自分の非を認める時、神様はその人の味方になって下さるのです。

 

3)素直にヘリくだって神様(イエス・キリスト)に助けを求めることです。
砕かれた素直な心の中に神様は豊かに臨み働かれるのです。

 

4)(聖霊)の励ましをいつも豊かに受け取り続けることです。
人は、「変わらない」と、すぐ失望してしまいます。しかし、神様はあきらめません。信じ続ける者を見捨てることはなさいません。常に励まし続けて下さる御方なのです。

 

5)「神(キリスト)の教会」の集い(礼拝)に参加することです。
そこには変化し成長していく為の具体的な導きが置かれているのです。
「自分は駄目だ。私の人生はもう失敗した。」と投げ出す前に、イエス・キリスト(人間を造られた真の神)を一度、呼び求めてみませんか。