だれも新しいぶどう酒を古い皮袋に入れるようなことはしません。そんなことをすれば、新しいぶどう酒は皮袋を張り裂き、ぶどう酒は流れ出て、皮袋もだめになってしまいます。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れなければなりません。(新約聖書ルカによる福音書5章37.38節)

 

新しい皮袋――東洋に住む私達日本人には、あまり聞き慣れない言葉かもしれません。
昔、中東・イスラエルの国では、ぶどう酒を発酵させる時に羊の皮を袋にして用いていました。袋状にした羊の皮袋の中に、ぶどうの原液を入れ、その中で発酵させていました。
発酵と共に、皮袋はどんどん膨らんでいきます。新しい皮袋は伸縮性に富んでおり、どんどん伸びていきますが、古い皮袋は伸縮性、柔軟性共に失われており、発酵が始まると、やがて、バリッと破れ裂けてしまって中身の原液がすべて流れ出てしまい、皮袋も使いものにならなくなってしまいます。
ある意味に於いて、私達の人生も又、幾度か皮袋を刷新する時、又、される時、があると思います。近年、日本の国は、大きな自然災害に見舞われるようになりました。「50年に一度の――、100年に一度の――、1000年に一度の――。」それが、毎年のように起きて来るようになりました。

テレビ報道の中で或る河川工学の専門家の方が語っていらっしゃいました。
「最早、あちらの川床を掘って深くする、こちらの堤防をかさ上げして高くする――というような部分的なものではなく、全国的に(河川という“器”)そのものに対する考え方を変えていかなければならない時(時代)が来ている!」まさに「河川」に対する考え方(皮袋)そのものが根本的に切り換えられなければならない時が来ている、ということです。河川のみならず「自然災害」に対する考え方、取り組み方、そのものが全く新しい発想に立たなければならない時に私達の国・日本は来ているのです。

 

最近、私は、こういう話を聞きました。
400年前の戦国時代の武将、武田信玄は戦いに於いて優れていただけではなく、治水工事に於いても、優れた知恵を持っていたことが知られています。
その一つが「信玄堤」と呼ばれるもので、増水する川の水を何とか堤防の中に押し込める、というのではなく、中流、下流域の堤防に、予め、切り込みを造らせて、増水した場合、その川の水が湿地や田んぼ、遊水池、などに流れ込むようにし、一ヶ所にリスクがかからないようにした、というのです。増水時のリスクを堤防だけで受け留めるのではなく、地域全体で受け留めるという考え方です。

東京都は、1988年から20年かけて、地下に大きな貯水場を造りました。
「神田川・環状7号線地下調節池」と言うのだそうです。
(今回、19号台風の時には、とても役に立ったそうです。)
まさに現代に於ける「信玄堤」のようです。
(ただ、起きることが確実視されている「首都直下地震」に対して、この構造物が耐え得るかどうか、という疑問は残りますが)
しかし、これからの増大していく自然災害、その規模の大きさということを考える時に、人間が作り出すものには、やはり限界があることを思わせられます。

これからは、地震にしても、台風にしても、「起きてから○○をする」では遅いと思います。
物事が起きてから、ボランティアをする――それだけではない!と思います。
台風や地震などが起きる前に、すべき事があるのではないか、――と思います。
それは天地万物をお造りになり、自然界全体を統治しておられる、神の子の「イエス・キリストの名によって祈る」ということです。
自然災害に於ける新しい皮袋の一つ、と考えています。

この秋、台風15号によって大きく破壊された千葉県の様子を聞いて本当に心が痛みました。
その後、17号の台風が福岡県沖を通っていきました。
今迄に経験したことの無い、物凄い風の猛威を覚えました。
それよりも、もっと強烈な台風19号が再度、東京、千葉を襲うことをニュースで聞きました。
「台風は中心より右側が風当たりが強い」と聞いていましたから、中心が出来るだけ陸から離れて太平洋側に行くように、と祈りました。
台風が襲来する週、10月9日(水)の夜、教会員、皆で祈りました。
翌朝10月10日午前9時、気象庁の発表した「台風の軌跡図」を見ました。
前の晩、「イエス・キリストの名によって台風よ、東に折れよ!」と宣言し、祈った時から台風の方向が東に曲がっていました。
(エッ本当?!と思われる方がいらっしゃいましたら気象庁の発表している、10月10日朝9時時点の台風19号の軌跡をご覧下さい)
「台風は色々、蛇行しながら進んで行くものだ。祈ったら曲がった――それは偶然そうなったのに過ぎない」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、聖書の中に神様は語っておられます。

 

「教訓に教訓、教訓に教訓、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し。」(旧約聖書、イザヤ書28章10節)

 

神様は最初から大きく物事を見せられるのではなく、ご自身の真理を少しずつ、教えていかれる御方です。
私は今回、神様は御手のわざの一環を見せて下さった、と信じています。
そしてこれからも、より具体的に教えて下さると期待しています。
これからも大きな自然災害が、この日本に襲って来ることが予想されます。
物事が起きてから、「仕方ない」と諦めるのではなく、神を信じる、ひとりのクリスチャンとして、出来る精一杯のことを成すべきだと、心新たにしています。物事が起こる前に、「神に有る、すべての可能性にチャレンジして行くべきだ。」と考えています。