その後、神である主は、土地のちりで人を形造り、その鼻にいのちの息を吹き込まれた。 そこで、人は、生きものとなった。 神である主は、東の方エデンに園を設け、そこに主の形造った人を置かれた。

(創世記2章7.8節)

神はこのように、人をご自身のかたちに創造された。 神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。 神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。 「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」

(創世記1章27.28節)

 

天地万物をお造りになった神様は、最後に「人」をお造りになった、と聖書は記しています。

しかも(土地のちり)で造られた、とあります。 そのようにして造られた、最初の人間に、「アダム」という名を付けられました。

アダムとは、「土」という意味です。

 

人間の肉体を構成している様々な元素は、地面の中にすべて含まれている、と言われます。

ここに私達の人生に於いて非常に重要なことが置かれています。

人間の生活の場に於いて、「(土)との触れ合い」は非常に大きな意味を持っていることです。

人間が(土)との触れ合いが無いまま、その人生を過ごすならば、とても大切なものが欠落していきます。小さい子供達は砂場で遊んだり、泥をこねて、色々なものを造ったりしています。

実は、これが人間形成の上で非常に大切な役割を持っているのです。(土)との触れ合いは、人間の心に、不思議な安定感を生み出します。

そして、(土)との触れ合いの中で、創造に向かう閃きが生まれて来るのです。

精神的、神経的なりリハビリの中で(泥を扱う)ことが取り入れられているのには、それなりの意味があるのです。しかし、人は成長するにつれて、(土)との出会い、触れ合いが、だんだんと疎遠になっていきます。

そして、忙しさに追われて、いつの間にか、心が砂漠化し荒涼としたものになって行きます。表面的に物事をこなし、表面的に物事は流れて行きますが、心の奥底からの命の実感は、伴いません。

心の奥底からの命の実感が伴わないまま、物事だけが流れて行く――これが現代、多くの人が感じていることではないでしょうか。

土に帰りましょう。自然の中に帰りましょう。

そこに神の創造の御手が、あなたを待っていたことを知るようになるでしょう。

近年、自営農を始める人々が増えて来ました。

それは趣味や興味だけではない、その中に人間本来の姿を取り戻させてくれるものがあるからです。

その中で人は創造主なる神の声を聞くようになるからです。

そこから活き活きとした輝きのある人生が始まるからです。