さて、ひとりのらい病人が、イエスのみもとにお願いに来て、ひざまずいて言った。
「お心一つで、私はきよくしていただけます。」
イエスは深くあわれみ、手を伸ばして、彼にさわって言われた。
「わたしの心だ。きよくなれ。」すると、すぐに、そのらい病が消えて、その人はきよくなった。
(新約聖書マルコによる福音書1章40~42節)

 

ひとりのらい病人――彼は人間関係も、自分の体も、仕事も、自分がどう生きて行ったらよいか、自分のアイデンティティすべてが崩壊し、自分自身に愛想が尽き果て、立ち上がる気力も無ければ、将来の道も全く見えない。

その人にキリストは「頑張れ。」と励ましたのではない。

「何だ、だらしないぞ、立ち上がれ。」と叱咤した訳ではない。

「根性がないぞ、ガッツだ。」と押した訳ではない。

キリストは語られた「わたしの心だ。きよくなれ。」

 

人間には、わかっていても立ち上がれない時がある。
その中で焦り、もがき、呪い、とうとう諦める。
そして、自分を責め、周りを責め、そしていよいよ、みじめになって行く。イエス様は語られる。

「あなたを立ち上がらせるのはわたしだよ。あなたのそのままで、立ち上がらせる力のあるわたしを信頼しなさい。あなたに必要なのはその事だよ。」

人は、あなたを嫌っても、キリストは「あなたを愛している」と語られる。

人は他人に触れられたくない部分がある。
そして、自分でも触れたくない部分がある。
でも、それは、何をしていても気になり、時間と共に、それは心の大きな負担となり、人生を暗く閉ざしてしまう。それが「らい病だ。」

でもキリストは語られる。
「わたしの心だ。きよくなれ。」キリストの十字架には、人生の、心の、すべてのらい病を洗い清め、全く新しいものに造り変える力がある。

今日もイエス・キリストはあなたのそばにおられる。

そして、今日も、あなたに優しく語りかけられる。

「わたしの心だ。きよくなれ。」