主はこう仰せられる。
「四つ辻に立って見渡し、昔からの通り道、幸いの道はどこにあるかを尋ね、それを歩んで、あなたがたのいこいを見いだせ。」
(旧約聖書エレミヤ書6章16節)

 

今年に入ってから予想だにしなかったことがこの国に舞い込んで来ました。
「新型コロナウィルス」の襲来です。

そして、そこから普段、聞き慣れない言葉を耳にするようになりました。

3密、ソーシャルディスタンス、GO TOキャンペーン、第2波・・・。

コロナによって、今迄とは全く違う時代に入り、違う生き方、生活が要求されるようになって来ました。

しかし、この「コロナの到来」は、逆に「これで当たり前」と思って送って来た日々を、もう一度振り返らせ、本当の意味での自分らしさ、自分の人生を取り戻させるものではないか、と思います。

私も、この「コロナの問題」をどのように受け止めたら良いのかと思い、神様に問いかけました。
その時、返って来た答えは、「あなたの人生を揺るがないものの上に建て上げよ。本質的なものの上に建て上げよ。」ということでした。

多くの場合、人は「何処へ向かうか?」ということを求めます。
しかし、神様の言葉は「今日、何処に立っているか」と問いかけます。
今日、正しい場所に立っているならば、将来に向かう道も明らかに示されて来るのです。

私達は、「今日は立っていても、明日はどうなっているかわからない?・・・」といった
砂上の楼閣の上に、その人生を築いている場合が多くあるのではないでしょうか。
又、周囲の顔に合わせ、言葉に合わせ、その場の雰囲気に合わせて、自分の人生でありながら、偽りの流れの中に身を任せて生きている場合もあるのではないでしょうか。

永遠のベストセラーと言われる聖書は
「昔よりの神は、住む家。永遠の腕が下に。」(旧約聖書申命記33章27節)
と語っています。

 

1)昔からの神――永遠の存在者・実在者である神様に信頼を置き、神様を拠り所として人生を歩む。目の前に色々なことが起きても、永遠の実在者である神様が、必ず、「万事(すべての事を)を益として下さる(変えて下さる)」神様を土台として歩むクリスチャンは、このことを知っています。
だからこそ、この一度きりの人生、やり直しの効かない人生を、大胆に挑戦的に生きていくことが出来るのです。

 

2)神に土台を置く――神に信頼を置く人生
それはただ、神様を信じる、という私達の側からの一方的なものではなく、神様の側から、私達をしっかりと支え、導いて下さる――素晴しい相互関係の中に、安心感の中に生きて行くことが出来るのです。
「幸福な人生を送りたければ、まず、その心に揺がない平安を持つことである。」と言われます。私達と同じ(人格)を持たれた神様が私達ひとりひとりを、とても大切な存在として、精魂こめて造って下さり、その人生を本当に豊かな実りあるものへと導いて下さる――この御方に出会う時、人は初めて「自分の居場所」を見出すことが出来、自分を尊厳ある存在として認めることが出来るようになるのです。

 

3)永遠の実在者である神様は、ただ「私達を造られた」というだけではなく、私達の内側にご自身の命を与えて下さり、その命は朝ごとに「命の泉」となって私達の内側から溢れ流れるようになり、神にある喜び、愛、感謝、希望といった素晴しい神の命の躍動の中へと私達の人生を導いて下さるのです。

 

「こうして、イスラエルは安らかに住まい、ヤコブの泉は、穀物と新しいぶどう酒の地をひとりで占める。天もまた、露をしたたらす。
しあわせなイスラエルよ。だれがあなたのようであろう。主に救われた民。主はあなたを助ける盾、あなたの勝利の剣。」
(旧約聖書申命記33章29節)