居場所

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子(イエス・キリスト)を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。

宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。

すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。

「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(新約聖書ルカによる福音書2章6~12節)

 

 

2011年、あの東日本大震災の年、暮れも押し迫った或る日のこと、一人の男性がじっと一枚の写真を見つめていました。

その写真は、一年前の夏祭りの時撮った、町内会の集合写真です。瓦礫の中からたまたま見つかった大切な写真です。

「○○さんも亡くなった。○○のマスターも死んでしまった。○○さんも居なくなってしまった。・・・・私にとってあの街は、とても良い所でした。自分の居場所がありましたからね・・・。」

彼は津波によって、大切な奥さんとひとり娘を失い、又、大勢の部下と、親しかった同じ町内の多くの友を失い、住み慣れた地も破壊されてしまいました。

人間にとって「自分の居場所がない」――これ程、淋しい辛い人生はありません。

コロナ禍の中、多くの人が自分の居場所を失ってしまいました。

或る人は、長く勤めていた職場から急に解雇を言い渡されたり、働きの場、学びの場を失った人は数知れません。又、生まれながらにして、自分の居場所を見出せない人もいます。

お父さんは飲んだくれ、お母さんは身体を売って何とかその日の糧を得る、そういう荒れ果てた環境の中で生まれた子供が居ました。

生まれてすぐ、彼はゴミ箱の中に捨てられてしまいました。

今しも命が絶えるような、か細い泣き声を耳にした町の人の手によって助け出され、孤児院に引き取られ、そこで大きくなる迄、育てられて行きました。

若者になり、その施設から出て働くようになりました。

しかし、成長するにつれ、(自分の居場所)を持たない彼は、何をしても自信がなく、長続きせず、信頼する友達も居ない、彼の生活は落ち込み崩れて行きました。

「自分は誰の子なのか、自分は何処に身を置けば良いのか、――どうせ、自分のような者の存在に心を配る人など居る訳がない。」

孤独の中で窃盗や脅迫、スリ、と言った悪の道にどんどん染まって行きました。

心の闇はどんどん深くなり、「どうして自分の人生はこうなんだろう? 」と世を呪い、自分を呪う思いで一杯でした。

或る日のこと、町を歩いていた彼は、突然、スリを思い付きました。

一人の男性にドンとぶつかり、その時に彼は財布を抜き取ったのです。

いつものように一目散に逃げ出そうとましたが、何故か、その男性と目が合ってしまったのです。その男性の親しみのある笑顔とその眼差しには深い慈しみが宿っていました。

この男性は、若者の元に歩み寄り、一言だけ語りかけました。

「イエス様が君を愛しておられるよ。」驚いた若者はその場を走り去りましたが、その語られた言葉は、彼の心を捕えました。

「イエス様が君を愛しておられるよ。」

「誰も自分のような者を顧みる人は居る筈がない、まして愛してくれる者など居る訳が無い。! 」長い間の人に対する不信感、居場所の無い不安と孤独の中で、彼の心は固く踏み固められていましたが、「イエス様は君を愛しておられるよ」-―その語りかけに、氷のように固く閉ざされた心が少しずつ溶かされて行くように感じました。

その年も暮れとなり、クリスマスがやって来ました。

「自分のような者を愛してくれる、イエス様ってどんな方だろう?」

彼の心に強い願いが起きました。

そして色々な人に尋ねて、「イエス様」のことを伝えている教会に行ってみました。

教会ではクリスマスの礼拝が持たれ、クリスマスの讃美歌が流れていました。

恐る恐る教会に入って来た彼に、小走りで近づいて来た(男性)がいました。

その人の目には、あの日と変わらない、深い慈しみが宿っていました。

その人は言いました。

「イエス様はあなたを待っておられましたよ。」

その後、礼拝で語られた牧師さんの話によってイエス様のことがよくわかるようになりました。神の御子であるイエス様は、自分と同じように居場所の無い状態で生まれて来て下さったこと、自分のような罪深い者のために、その罪を身代わりとなって自分の身に背負って十字架にかかって下さり、すべての罪を赦し、新しい者へと造り変えて下さること、三日目に死者の中から、よみがえられたイエス様は、どんな時にも見捨てることなく、いつも共にいて下さることがわかって来ました。

その時、彼は、はっきりと心の底で感じました。

「ここに僕の居場所がある。心の底から求めて来た場所がここにある!」

その日から数十年が経ちました。

あのクリスマスの日、教会を訪れ、「イエス様」に出会ったあの若者は、その後、学びの時を経て伝道者となり、世界中を駆け巡って、沢山の人々を

「彼らの居場所であるイエス様」の元に連れ帰る働きをするようになっていたのです。