2021――命萌ゆる時代

ほら、冬は過ぎ去り、大雨も通り過ぎて行った。
地には花が咲き乱れ、歌の季節がやって来た。
山鳩の声が、私たちの国に聞こえる。
いちじくの木は実をならせ、ぶどうの木は、花をつけてかおりを放つ。
(旧約聖書 雅歌2章11~13節)

草木萌える春になりました。
春は、まさに命の芽生える時です。
昨年1年は「コロナ感染」のために、日本も世界も恐れに包まれ、加えて経済の問題、自然災害などもあり、日本中が重苦しい雰囲気の中で1年を過ごすことになりました。
一時期に比べ、若干、数は減少しているものの新しい変異種の出現もあって、まだまだ予断を許さない状況です。
こうした月日の中で、「命」ということについて考えられた方々も多くいらっしゃったのではないでしょうか。
永遠の神のことば「聖書」は、二つの「命」について語っています。
一つは、自然界の営みの中で生まれ、生き、そして死んで行く、肉体的な命です。
万物、息あるすべてのものが「命」を持っており、そして等しく皆、「死」を迎えていきます。人が「コロナ感染」を恐れるのも、「一日でも長く生きていたい」という心の叫びであろうかと思います。
しかし、私達が生きているこの世界には、もう一つの「命」があります。
それは、人間にだけ、特別に与えられる「命」です。
この天地万物を造り、その中のすべての生き物に(命と息)を与えておられる創造主なる神から来る、特別な「命」です。
それは、「永遠の命」と呼ばれる「霊的な命」です。
肉体の生命は「70年、健やかであって80年」と聖書は語っていますが、この「霊的な命」は、永遠に人を生かしめる、神からの「命」です。
人は、この神様からの命、「永遠の命」によって、永遠に生きる者とされ、永遠に存在なさる神様を礼拝する者として造られたのですが、初めに神様によって造られた人間の始祖、アダムとエバが、神様に背いて罪を犯して以来、人の内に注がれて来た「永遠の命」の流れは途絶えてしまいました。
それ以来、(死への恐怖)が人類を支配するようになりました。
しかし、今から2000年前、神様は、そのひとり子イエス・キリストによって、もう一度、人類に永遠の命を与え、永遠に生きることが出来る、その道を開いて下さいました。
それが、あの「キリストの十字架」に於いてなされたことです。
人間が死を恐れる原因は、「人間の内に潜む罪――神への反発」のためである、このことを聖書は教えています。
罪を抱えたまま人が死を迎えるならば、それは神の審きを受けることになり、永遠に「神の命」から切り離されてしまうことを、聖書は厳粛に告げています。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」
(新約聖書ヘブル人への手紙9章27節)

しかし、罪も汚れもしみも無い、聖い神の子キリストがあの十字架にかかって、私達すべての人間の罪を身代わりに背負って死んで下さり、私達が受けなければならなかった「永遠の審き」をご自分が受けて下さったのです。
この「イエス・キリストの十字架」により、すべての人の罪が赦され、永遠の滅びからの救いの道が開かれたのです。
そして、イエス・キリストはすべての呪いから人類を解放して下さり、罪の故に、悪魔の奴隷となっていた人々を解放して下さり、「死」という永遠の闇に包まれていた人生から、光溢れる神のご支配の中に移して下さるのです。

「神は、私たちを暗やみの圧制から救い出して、愛する御子のご支配の中に移して下さいました。この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」
(新約聖書コロサイ人への手紙1章13.14節)

「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。また、生きていてわたしを信じる者は、決して死ぬことがありません。このことを信じますか。」
(新約聖書ヨハネの福音書11章25.26節)

春が来ると、全世界のキリスト教会で一つのお祭りが行われます。
それは、「イースター・復活節」と呼ばれるもので、あの十字架の上で私達の身代わりとなって死んで下さったイエス様が墓にほうむられ三日目に復活なさった、その事を覚えて行われる、喜びと希望に満ちた行事です。
これからの時代は、今迄無かったような問題や出来事が次々と生まれ、世界は闇の中に包まれて行くように見える時があるかもしれませんが、どのような暗闇も、〈イエス・キリストにある復活の命・永遠の命〉この希望の光を消し去ることは出来ません。
人類の希望は唯一つ、この「キリストの十字架と復活」の上にあり、その光は、いつ迄も途絶えることはないのです。