1.名も知らぬ 遠き島より
流れ寄る 椰子の実一つ
故郷(ふるさと)の岸を 離れて
汝(なれ)はそも 波に幾月(いくつき)
2.旧(もと)の木は 生いや茂れる
枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚(なぎさ)を枕
弧身(ひとりみ)の 浮寝の旅ぞ
3.実をとりて 胸に当つれば
新(あらた)なり 流離(りゅうり)の憂(うれい)
海の日の 沈むを見れば
激(たぎ)り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々(しおじお)
いずれの日にか 国に帰らん
作詞は島崎藤村、作曲は大中寅二です。大中氏はクリスチャンで、東京の霊南坂教会でオルガン奏者を務めていました。歌詞は、民俗学者の柳田國男が愛知県の伊良湖岬に滞在した時の体験が元になっています。「風の強かった翌朝に、はるか遠くの南方から、こんな浜辺まで流されてきた椰子の実を、3度も見つけた。」というエピソードを友人の藤村に話したところ、藤村はこの話にヒントを得て、明治33年(1900年)に、「海草」という題の詩として発表しました。「椰子の実」の歌としては、ずっと後で日の目を見ることになり、昭和11年(1936年)に、NHK大阪放送局によって国民歌謡として放送されました。歌詞の内容は次のようです。
1.名前も知らない遠い島から
流れてきた椰子の実 一つ
故郷の岸を離れて
おまえはどれだけ長い時を
彷徨ってきたのか
2.椰子の実がなっていた元の木は
今も生いしげっているのだろうか
枝は今もなお影をつくっているのだろうか
わたしもまた波の音を枕に
ひとり寂しく旅をしている
3.椰子の実を胸に当てれば
さすらいの旅の憂いが身にしみる
海に沈む夕日を見れば
故郷がしのばれ 激しく涙が落ちてくる
椰子の実が流れてきた遠い旅路に思いを馳せる
わたしもいつかあの懐かしの故郷に帰ろう
この歌は、はるかかなたの南方の島を舞台にした歌かと思っていましたが、藤村自身が家族の不幸、波瀾万丈の人生の憂いを椰子の実に重ねあわせ詠んだ歌だったと知りました。